変化のスタートは、失敗することを選択すること!
私は真ん中っ子で生まれ、簡単に言えば「自分の事は二の次にして、誰かのために生きる!」そういう人生を生きてきたように思います。
26歳の時に、「私の人生、これで生きよう!」と思う日本発の新教育「認識技術」に出会いました。
最初は薬剤師の仕事に集中していたし、ダブルワーク状態だから中途半端ではあったけど、メンバーとして色々な経験や実践を蓄積し、その後リーダーサポートとして全体を見ようとするポジションを少し味見し、そこからポジションが変わってサブリーダーを経験。
最初は自分の観点を0にして、リーダーを支えることが本当に辛く、「私何をやってるんだろう?」と涙しながらの経験でした。
経験を積むうちに、リーダーを支えるサブ役が板について、サブやサポートは得意です!っていう事ができるくらいまでになったな〜と我ながら思います。
そこから、リーダーが体調を崩し、急遽周りの薦めで私自身が組織のリーダーポジションを任され、リーダーなんてしたこともない私の、辛く苦しく涙の2年間が始まりました・・・・。。
約2年が経った今、自分でもものすごく変化したな〜と思います。
どう変化したか?
簡単に表現してみると・・
「自身がない私!」から「周りに依存せず、自分で選択し責任はとる。だから自分がしたいと思う事を楽しんでやろう!」という状態まで変化してきました。
昔の私のことを知っている人から、よく聞かれます。
「変化したね〜!どうやったの?」って。
今までの2年間で自分がなぜ変化したのか?
自分でも色々思い返しながら考えてみてたけど、今までの私の表現としては、
「限界を作ってしまう自分の認識に、諦めず勝負してきた!」でした。
もちろんその通り!
自分が生まれてから蓄積してきてしまった観点固定を自覚し、その固定を論理でほどき、新しく結び直すこと。
これだけは諦めずに涙しながらでもやり続けました。
辛い・・・・
ように見えるけど、全ての問題の原因は「観点固定」です。
という事は、観点を変化させない限り人は変化しないと言えるし、変化させやすい表面的な思い方ややり方を変えても、アイデンティティは決して変化しない。
絶対変化することができることが分かっているからこそ、勝負する事ができたな〜と思います。
そして、縁あって最近参加したセミナーで、ふと自分の変化の理由が違った表現でまとまりました!
言ってる事は同じだけど、シンプルな言葉で繋がって、何だかとてもスッキリ✨
それはどんな言葉かと言うと、
「失敗することを選択したこと!」でした!!
日本人にとって、「失敗」とは死に通ずるくらいの事。
切腹の文化がある日本は、一度の失敗も許されないと思いやすいです。
アメリカ人にとって、「失敗」とはキャリアの一部。
失敗し、その失敗をどうリカバーしたのか?
その経験によってその人に能力が分かり、仕事を任されるのです。
その話を聞いた時に、私は多くの経験を通して、「失敗したくない!」と強く思ってたそのポイントが、いつの間にかひっくり返っていた事に、改めて気付かされました。
「失敗してもいい!死ぬ訳じゃない。その瞬間恥ずかしくてもそれは結果ではなくプロセス。蓄積した先に、成したい未来がある!」
いつの間にかその整理に到達し、恥ずかしい程のみっともなさで、その恥ずかしさに耐えられずたくさん泣き、悔しいやら寂しいやら・・できない自分を見せつけられる辛さが蓄積される・・・・という中でも、チャレンジし続けてきたな〜と改めて思い出し、「よくやった!!!」って自分を褒めたくなります。
私はこれから、出会っていく人の変化をつくり、リーダーとして立っていける人を沢山作っていく事にチャレンジしていきたいと思っています。
その中で、今回シンプルに整理がかかったこの言葉「失敗をすることを選択すること!!」は、かなりの道具となります。
目の前の相手に、失敗することを怖がらないチャレンジをさせること。
そして全力で応援し、例え失敗したとしても、その「失敗」を共にどう超えていくか?
そこだけに集中していく事ができたらいいのかもしれない!と思いました。
私にとっても次元の違う新しいチャレンジ。
自分の変化は自分次第。相手を変化させることは、自分の変化とは別格の難しさ。
自分のことは手放して、次のチャレンジに一歩踏み出す事にします!