レオナルド・ダ・ヴィンチの生き方より学ぶもの
先日行った、美術館で観賞した、レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画と展示されてた彼の残した言葉。
絵画はもちろん、素晴らしい。
そして、その絵画を生み出した彼の生き方がやはり素晴らしいと思った。
色々と展示されてたが、今日はいくつか取り上げてみたい。
「まことに生命を尊重しないものは、生命の値しない」
生とは何か?死とは何か?
目の前の出会いがどういう意味なのか?
生きること・一つ一つの出会いが、いかに神秘神聖であるのか?を知らず、ただ生かさせる人生は、とても苦しいもの。
脳科学・科学の世界では、この宇宙・現実画面は錯覚だということが証明されている。
つまり私たちは存在していないのだ。
事実を知る事(生が絶対ではない事を知る事・死を選択する事)によって、今ここが本当の意味で生きてくる。
「悪を罰さない者は、悪を行えと命じているのだ」
生きていく中で、「え?それって本当?」「それって違うんじゃない?ダメだと思うけど・・・・。」っていう戸惑いや迷いって、結構起こる。
本当はそのまま声に出して確認したらいいのだけど、それほど簡単なことではない。
人の目を気にして、「思ったまま発言したら嫌われるかも・・」「私だけが思ってるだけかもしれないから、皆がいいなら良いか〜」とか、思いやすい。
だけど、何か事件が起こり、その原因が、自分がふと思った疑問さえ明確にしていたら良かったのに・・っていうことってありませんか?
誰かに認められる事によって存在できる生き方ではなく、
自分の意見・生き方の軸を持ち、我ここにあり!で生きる生き方。
大きなIDの違いがここにあります。
老いてからの欠乏をおぎなうのに十分なものを、青年時代に獲得しておけ。
老年が食物として必要なのは「知恵」である。
そのことを知るものは(知恵の)栄養不足にならないように、若いうちに努力せよ。
若い時の苦労は勝手でもしろ!って、言いますよね。
本当にそう思います。
人生の中で、生き方の方向性を切り替えるタイミングが必ず1回はあります。
その選択をする時に、多くの知恵や経験・苦労があって変化を選択するのか?何となく変化を選択するのか?では大きな違いだと思います。
自分の意識の中だけで生きることは本当に狭い。
自分の認識を自由に変化させながら、自分にとってあまり出会った事のないような新しい世界と出会う事、自分の外を取り入れてIDの膜を拡張していく事。
そんな生き方があります。