名画って誰が決めたの〜?
私は昔から美術館・博物館に行くのが大好き。
今日は、九州国立博物館であった展示「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」に行って、展示を見ながら思った事を書いてみます。
観賞しながら、ふと出てきた質問。
それは・・・、
★「名画って何?」
★「誰が、名画だって決めたの?」「人それぞれ好みは違うはず」
★「この絵がもし博物館ではなく、普通の家に飾られていたなら、私はこの名画を見て、素晴らしい絵だと思うのだろうか?」
今までも、興味を持って様々な展示を観て、テレビなどでも色々な情報を受け取ってきました。
今までは、
「すごーい!いつもテレビで見てる絵だ!素晴らしい✨」
「へ〜。素晴らしい絵なんだろうな〜。」
「時代を超えて、変わらず息づいていく作品って素晴らしい!」
「この表現方法、さすが!色使いが感動♪」
みたいな目線で見ていました。
もちろん、私なりに色々と勉強し情報を持って観賞はしていたので、毎回感動をもらって有意義な時間であった事は間違いない。
でも、今回は何だかいつもと違っていました。
「世の中に、自分で決めたもの・自分で作った基準は一つもない。」
ということを、Noh Jesu氏という方はよく言われます。
本当にそうだな〜と納得する事実。
人間は、
文字・言葉は作ってない。
法律も作ってない。
お金も作ってない。
流行も作ってない。
何一つとして、自ら生み出したものはないのです。
その事に対して、「そりゃそうだ!」
と今までも思っていました。
ですが今回は、
それが美術作品という、全世界が認めるアート作品を観賞するという行為と繋がって、更に腑に落ちることとなりました。
芸術の世界って、言えば誰かが評価した世界。
昔で言えば、画商が絵を購入するか、昔のお金持ちの方達の自画像を書くなり、誰かに評価される事で価値がつく世界。
私が 今回絵画を見ていて思ったのは、
私の中に、絵画を観賞して解析(良い・悪い、名画・名画じゃないなど)できる絶対的な基準はないな〜ってこと。
私の中にあるのは、
誰かが評価して作り上げられた基準を道具として、判断していくことだけ。
もちろん今まで学んできた情報は蓄積されているので、その情報や知識をもって見る事はできる。
でもそれは私の感性ではないし、私独自の基準では全くないってこと。
美術館に飾ってあるから、良い絵に違いない!
聞いた事ある画家さんの絵だから、間違いない!
「ダメなはずがない」という基準が高い状態で、多くの絵を観賞しても、本当のその絵画の良さをみることはできないのです。
これって、絵画の世界だけではなく、普段の生活でも同じ。
自分がどんな判断基準をもって、日々常に判断しているのか?
もしかしたら、相当に高い基準を使っているかもしれない。
また逆に、ものすごく低い基準を使っているかもしれない。
厳しい基準、否定的な基準、楽観的な基準・・・。
上げればきりがない程、人それぞれ違った基準を使って、多くのことを判断しています。
誰かの判断基準に影響されることが悪いと言う事ではないけれど、全てがそればかりだとちょっと寂しい。
まず自分がどんな判断基準を持っているのかを知り、自らの判断基準で、一つ一つの出会いからくる感動を感じる事ができること。
そんな感動溢れる生き方、ワクワクです♪