Cool way of life

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茶道のココロに出会いたい!

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茶道を深く知りたいと思い、手にした本。

「一盌からピースフルネスを」著者:裏千家 千玄室

 

茶道を学びたいと思って、どの流派にするか?調べていく中で、千利休の表現したかった世界が一番残っている流派はどこなのか?と探し始めた。

茶道の神髄である千利休の世界に出会いたい・・・。

 

だけど事実、どの分野でも、初代の思いはなかなか引き継がれていないもの。

目に見える所作などは引き継がれても、その奥に秘められた悟りの世界は、そう簡単に引き継げるものではない。

 

 

 

茶道の歴史が確立するまでの背景〜珠光〜

千利休が表現したかった世界とは、どんな世界だったのか?

それを知るためにも、まず少し視点を引いて千利休が生まれた背景を知る事とした。

 

千利休が生まれるためには、かなり多くの歴史的変化が関わっている事が分かって驚いた。

 

まず、お茶と言えば茶の効能について書かれた世界最古の書物、中国の陸羽の書いた「茶経」に遡る。

もともとは漢方的な効能として、美味なる薬草として使われていたものだった。

 

効能としては、「気分がよくなる・頭が冴える・道を得る・煩悩から解き放たれる」という、意識の変化をつくるものだった。

しかもかなり深い悟りの世界にも通ずるもの。

 

そして、平安時代遣唐使によって始めて日本人がお茶に出会い、そこから武士の時代に栄西によって栽培が開始され一般大衆化。

鎌倉時代末期から闘茶(どこの茶か?どこの水か?を当て合い、賭けた金品を争う遊び)として流行し、1423年に茶の開祖と呼ばれている村田珠光によって草庵で茶を点てることが始まった。

 

闘茶

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村田珠光

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こうやって、民衆の中から、日本固有のオリジナル文化が生まれた背景としては、鎌倉時代の元からの蒙古襲来も関係している。

 

幕府の支配下であった時代であったが、日本海沿岸に蒙古襲来に備える警備網をはる必要があり、主体的に対応できる自由を与えることが必要になった。

 

その結果として、中央の支配力が下がり、下剋上時代を生んでいく。

その下剋上時代に生まれてきたのが、日本固有のオリジナルな文化というわけだ。(芸能・建築・絵画・手工芸・能狂言・生け花・茶道など)

 

闘茶にあけくれていた珠光が、一休禅師と出会い、「冷えかるる心」という言葉に集約させる「草庵茶」を生み出していく事に繋がっていく。

 

足利義政との会話

義政:茶とは一体どういうものか?

珠光:茶の湯道は、仏教修行と同じものであって、単なる遊びや芸ではありません。茶を喫することによって、心身の世塵を払い、禅でいうところの悟りと同じ心の有様を体得することだ。

 

その後、一休禅師がなくなり、珠光は80歳で生涯を閉じる事になる。

 

その後、村田宗珠が草庵で茶を点てるという目に見える外形は受け継いだが、やはり意識体験の場としての「悟り」の要素は受け継ぐ事ができず、茶屋と化してしまう。

 

 

武野紹鷗が成した事

そして、珠光が亡くなった年に生まれたのが、武野紹鷗。

堺の町で生まれた人で、その時代の堺は、乱世にあって日本中で一番安全で唯一平和な自治としだったところ。

 

そんな紹鷗が20代最後の年に、戦争へいくことになる。

しかし、半年後退陣し出家することになる。

そこから草庵茶の道へと傾倒していく。

 

紹鷗が果たした役割はとても大きい。

珠光が描いた極めて不明確なデッサン:「冷えかるる心」という言葉に集約される「草庵茶」の心の世界を探求して、その心の世界への道筋を望めば誰でも体験できるように、「目に見えるもの」として整え完成させていった。

※紹鷗が語った「わび」とは、正直に慎み深くおごらぬさま。

 

 

見えないものを見えるようにすること。

これって本当に難しい事。

 

このことができないから、一代目の出発の意志や先人が悟りを得たそのイメージが、後世に伝わらなかった。

だからこそ、紹鷗の成した成果は、とても大きいものだと思う。

 

 

色々と深い茶道の世界。

もっともっと深みのある世界だと思うので、本物の茶道のココロと出会うまで、求めていきたい。

 

 

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