「自分で決めたい!」ということに固執する人へ
先日会った若者の考えに対して、この時代背景に影響を受けている若者の苦しさを感じました。
自分で決めるとは、どういうこと?
自分で決めた!ということを、良い意味に解釈する人が多いのではないかと思う。
でも私はそうは思わない。
理由は、物事を決める主体である「自分」とはどういう「自分」なのか?が分かっているか?
そのポイントが不明確だからだ。
「自分」という存在の境界線が、この身体の範囲だけ、過去の経験体験だけに留まる範囲だけなのか。
それとも、
「自分」という存在の境界線が、宇宙を超えて宇宙の外までも取り入れた範囲なのか。
どんな自分で意思決定していくのか?
そのポイントをしっかり理解しないままの、自分勝手な意思決定では、とても勿体ないと思っている。
意思決定する際に道具となるもの=「判断基準」
私たちは、日常の当たり前のことでさえ、自分の判断基準で選択し生きている。
無意識だから自覚はないが、1人1人全く違う判断基準を生まれてから作っていき、人生を通してずっと使っていく道具なのだ。
今までの人生の中で、経験を通して自ら作ってきた判断基準で選択した場合、現在地を大きく前進させる判断は難しいもの。
であれば、
多くの人の意見やこの人についていきたい!と思える人の意見も参考に取り入れ、様々は情報を揃えた上で、自分の判断基準にとらわれず、「自分」という存在の外から意思決定をしていくことが必要になていく。
その意思決定であれば、私は何も言わないし、その人の意思決定を尊重したいと思う。
が、その技術を得ないとそんなに簡単なことでもないのが事実。
一先ずできることは、
自分の判断基準で選択したものが絶対ではないこと。
まず、意思決定するための材料を揃えるための受け取る器を大きくひらかないと、ベストな意思決定は難しい。
何かに迷う時に、色々な考えを出して、共にディスカッションしていけるような仲間を、繋がりとしてつくっていきたいですね。
感情が出ないという若者が多いのも事実。
だけど、人間には感情は必ずあるもの。
若者が感情がでないのは、この社会の影響。
いえば大人のせいだと言っても、あながち否定できないものだと思う。
日本の国の戦争の歴史、そこからくる現代日本人への諦め・挫折など、強烈な影響が今も尚残っていることも理解し、この日本人という集団クラウドも突破していけるような教育が今こそ必要だと思う。
人間の個性を輝かせることができる教育。
そして、日本を世界のトップに押し上げるための、これからの強烈な道具となるものがnTechです。