祖母からの学びを通して思う事
最近の祖母は、どんどんと痴呆が進んでいます。
少し前はまだ話しができたけど、先日親からの依頼で留守番を担当したら、私が留守番しながらしたいと思って持ってきてた仕事はほとんど手がつけられず、祖母が危なっかしくて見てないといけない状況でした。
でも、そんな祖母だけど、口にすることはいつも同じ。
「お茶だした?」
「●●さんは、もう帰った?」
「夕食準備しないと…」
「●●の支払いをしないと…」
などなど、他にもたくさんありますが、系統としてほとんどが心配事。
この祖母の発言を聞きながら、
今までも、ずーーーーっと家のことに責任を持って周囲に気を配りながら家を守ってきてくれたんだなーと思います。
習慣としてこんな言葉を無意識的に発言しちゃうんだと思うと、本当に感謝ですね!
今まで、本当にありがとう!と言いたい。
だけど、やはりこれ程に気を使って家を守らなければならなかった祖母の涙も感じます。
今ほど自由がなかった時代、結婚して家庭に入る女性の在り方とは、今とは全然違うものだと思います。
そんな祖母の若かりし頃の話も、聞けてないままもう話す事も難しくなってしまっていることがとても残念です。
家族って身近だからこその難しさがありますが、その分愛情も比にならないほど深いもの。
多くを語らず付き従うことの美学もありますが、今の時代で考えたら、家庭も一つの組織体制として捉え、多くを話しディスカッションしながら構築していけるプロセスも必要ではないかと思いました。
西洋の良さも取り入れつつ、日本古来の良さとして、和心の奥深さも併せ持つような人間になりたいものです。
日本の歴史を知れば知るほど、先祖への感謝が深まります。
体が死んでも、原子はなくならないから、実は今この瞬間に呼吸して肺に入った酸素は、実は昔坂本龍馬が吸った酸素と同じだし、もっと前のイエス・キリストもナポレオンが吸った空気も、同じように今ここに存在していると言われます。
今ここ、そんなイメージも道具にしながら1日を過ごしてみるのも面白いですよね!
坂本龍馬になってみたり〜、
西郷隆盛になってみたり〜、
オードリー・ヘップバーンになってみたり〜。
どうせなら、過去の偉人のエネルギーももらって自由に今ここのIDをセッティングし、自分のやりたい夢に向かって力強くいくこともできるのではないでしょうか?
昔ほど制限がない時代だからこそ、どう生きるか?は自分次第。
だからこそ難しいとも言えるけど、自らの認識がどこまで広がるかによっては無限の可能性そのもので生きる事もできる時代です。
どうせなら、やりたい夢を描いて、精一杯突き進む人生を送りたいですね!