映画「大統領の執事の涙」を見て
- バラク・オバマ黒人大統領が誕生するまで
- 血を流さない革命を起こしていくための「鍵」=nTech(認識技術)
- これからの人類の向かうべき方向性
- 34代から今までの大統領とアフリカ系アメリカ人公民権運動の流れ
何か学びになる面白い映画ないかな〜とamazonプライムを眺めながら、何気なく見た映画でした。
ホワイトハウスの歴代大統領の諸政策と黒人差別撤廃に向けた公民権運動の歴史が時代の流れに沿って見れるので、より一層、米国の黒人差別の歴史の流れが理解でき、白人至上主義についての理解を深めることができる作品でした。
バラク・オバマ黒人大統領が誕生するまで
実際の史実に基づいてはいるものの、脚色があるのか真実なのかは分かりませんが、黒人奴隷の時代から、バラク・オバマという黒人大統領が誕生する現代までの革命の様子が感じとれます。
オバマ大統領が誕生したことが、歴史的にどれだけ奇跡的な大事件だったのか。
黄色人種の私たちなら分かることも多くあると思いますが、歴史から見ても差別の次元は度を超えて違うものだと思います。
白人が決めた人種の規定だから、形があるものではないです。
だけど人間の「観点」はダイヤモンドよりも硬いと言われるように、そう簡単に変えられるものではないのです。
だけど、この硬い観点を大事件によって解決したor解決の方向へ舵をきった歴史があることに対して、改めてとても希望を感じました。
言えば、天動説→地動説、神が創造主→進化論、王による独裁→個人主義なども、同じようなケースだと思います。
誰かの決めつけによって作られた観点を壊し、新しい基準点から社会を作り直すために、大量の血を流しながら革命を起こしてきた歴史があります。
革命を起こしてきた過去の偉人や学者・哲学者・宗教家などへの尊敬の念もありますし、その方たちのお陰で得ることができている今の幸せだと思います。
血を流さない革命を起こしていくための「鍵」=nTech(認識技術)
人間が誕生してから人生を生きていく中で作り上げていく「観点」。
私はこの「観点」についての理解が、今の時代の限界を突破していく鍵だと思い、10年間教育事業に取り組んでいます。
「観点」という形のないものを崩し、進化や変化を作れない人間の限界とは何なのか?
この観点の固定を突破することができないことが、喧嘩や離婚の原因でもあり、大きく言えば戦争の原因でもあります。
その問題発見が、今の時代にとても必要なことだと思います。
アインシュタインは、「問題を生み出した同じ次元の認識では、問題を解決することはできない」と言っているように、私たちは今までと違う視点からこの現実を捉え問題発見・問題解決に向かうことが必要です。
人間は今までも幸せに生きるために、多くの宗教・哲学・学問・教育・専門家・企業・文化文明など様々なことに対しての取り組みをしてきました。
ですが、目で見たら豊かに見えても、実情が違うということは皆さんよく分かるのではないかと思います。
AIが活躍していく社会がもう目前にきている今、人間が一人で生きることの限界を認め、チームプレーができる個人や組織を作っていくことが必要です。
そのためにも、この「観点」の問題を突破できる技術が必要になってくると思います。
nTech(認識技術)は、「自分と自分の宇宙は実在しない」「存在するのはHITOSUの動きだけであり、その動きによって全ての存在は変化運動移動している」という量子力学的な思考方式によって、観点の次元上昇を起こすものです。
私は、次のプレートを引っ張っていく「素材」が、このnTechの「1」の規定だと思っています。
こんなに時代は進化し技術も圧倒的に進化しているのに、私たち人間は原始時代とさほど変わってないままであり、ニュートンやデカルト時代の過去の基準点からスタートしたものとなってしまっているのが現状です。
AIがディープラーニングによって爆発的な進化を起こしたように、nTech(認識技術)によって人間もディープラーニングを起こすことが可能となります。
24年間かけて作り上げてきた、この日本初の素材・技術を道具に、世界基軸養育として全世界に広げ、たくさんの職業・産業を生み出しける可能性に確信を持っています。
これからの人類の向かうべき方向性
これからの理想の組織として「Teal組織」が巷で有名ですが、理想の組織をつくるのはそんなに簡単ではありません。
そもそも観点の問題のクリアなくして、Teal組織は作れないと思います。
なぜならば、共通土台を持つことができないからです。
バラバラがうまく融合している事例もあります。
それは、人間の体です。
様々な臓器がある中でうまく融合して、素晴らしい機能を発揮しているように、世界もOne Worldに向けてチームプレーを発揮していける状態を作っていくことができると思います。
誰かに依存してもたれかかるのではなく、それぞれが自分の力を無限大発揮していくことによって、なくていい臓器なんて何もない人間の体のように、最も効率的な連携を可能にしていくと思います。
人間はこんなもんで終わる生き物ではないと本当に思います。
脳のほとんどを活用できてないように、人間の可能性を花開かせることができた先には、今の人間からはイメージできないくらいの未来が待っていると思います。
本当の力を各国が出し合い、チームプレーを成す世界って、どういうものだろう?
そのイメージを深めながら未来に向けて共に歩める仲間とも出会いたいと思っています。
34代から今までの大統領とアフリカ系アメリカ人公民権運動の流れ
この映画をきっかけに、アメリカの歴史を整理してみました。
あまり具体的ではないけど、参考まで。
《映画に関わる7人の大統領》
34代:ドワイト・D・アイゼンハワー(1953/1/120-1961/1/20)
35代:ジョン・F・ケネディ(1961/1/20-1963/11/22)
36代:リンドン・ジョンソン(1963/11/22-1969/11/20)
37代:リチャード・ニクソン(1969/11/22-1974/8/9)
38代:ジェラルド・R・フォード(1974/8/9-1977/1/20)
39代:ジミー・カーター(1977/1/20-1981/1/20)
40代:ロナルド・レーガン(1981/1/20-1989/1/20)
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41代:ジョージ・H・W・ブッシュ(1989/1/20-1993/1/20)
42代:ビル・クリントン(1993/1/20-2001/1/20)
43代:ジョージ・W・ブッシュ(2001/1/20-2009/1/20)
44代:バラク・オバマ(2009/1/20-2017/1/20)
45代:ドナルド・トランプ(2017/1/20〜現職)
《アフリカ系アメリカ人公民権運動》
1950年代から1960年代にかけて、アメリカの黒人(アフリカ系アメリカ人)が、公民権の適用と人種差別の解消を求めて行った大衆運動のこと。
1776年:イギリス本国から独立、有色人種への差別が「合法」
1860年11月:エイブラハム・リンカーンが当選(共和党、奴隷制の拡大に反対)
1861年:南北戦争、1865年奴隷制度の存続に批判的な北部が勝利して終結
1875年:修正第14条「アメリカ合衆国で生まれた(帰化した)全ての者に公民権を与える」
1883年:公民権法のほとんどを、実質的に無効化
1890年:黒人と白人で鉄道車両を分離する人種差別法案を可決
1896年5月:「プレッシー対ファーガソン裁判」合衆国最高裁判所は、事実上人種差別を容認する判決「ジム・クロウ法」
1909年2月:「アフリカ系アメリカ人委員会」設立
1910年5月:全米黒人地位向上協会(NAACP)設立
1917年:第一次世界大戦。陸軍・海軍に参戦、同盟国の勝利に大きく貢献
1941年8月:ベンジャミン・デービス・シニア陸軍准将(アフリカ系アメリカ人最初の将官)が任命。
1941年12月:第二次世界大戦、黒人兵士が戦線で戦う場合は「黒人部隊」としての参戦、佐官以上の階級に任命されることは殆どなし
1948年7月:ハリー・トルーマン大統領、軍隊内での人種「隔離」を禁止する大統領令発令、軍内部の人種差別が撤廃。アフリカ系アメリカ人を連邦職員に任命。朝鮮戦争が勃発
1954年:全米の学校において長年行われていた人種隔離が廃止、ブラウン対教育委員会裁判判決が最高裁において下された
1955年12月:「モンゴメリー・バス・ボイコット」
1956年:合衆国最高裁判所が「バス車内における人種分離」を違憲とする判決を出す
1963年8月:のワシントンD.C.における「ワシントン大行進」
キング牧師がワシントン記念塔広場で行った「I Have a Dream」の演説は、アメリカの歴史に残るものとして有名であるだけでなく、未だに多くの地域がイギリスやフランス、オランダなどの白人諸国の植民地統治下に置かれていたアフリカやアジアにおける独立運動や、南アフリカなどにおける人種差別解消運動に大きな影響を与えた。
1960年:発足した民主党のジョン・F・ケネディ政権、「ジム・クロウ法」を禁止する法案を次々に成立。
1963年11月:ケネディ大統領暗殺事件、ダラスで凶弾に倒れる
1963年11月:ジョンソン大統領が就任、公民権法の制定に積極的
1964年7月:公民権法が制定、長年続いてきた法の上での人種差別は終わりを告げる
1964年:キング牧師にノーベル平和賞が授与、アメリカ合衆国における人種偏見を終わらせるための非暴力抵抗運動に貢献、史上最年少・黒人としては3人目
1965年:ベトナム戦争、初めて「黒人部隊」が編成されず、黒人が士官として配属、白人の下級兵士に対して指揮を執る
1968年4月4日:キング牧師の暗殺による指導者の不在、非暴力主義から暴力などの非合法的な過激な運動へと変化
1968年ブラックパンサー党の党員数は5000人以上、機関紙「ザ・ブラック・パンサー」は40万部以上が発行
1970年代中頃:運動は沈静化した。
1984年:ジェシー・ジャクソンがアメリカ合衆国大統領予備選挙に立候補、3位の得票数※1988年も同様
指名を得るための予備選挙に立候補、3位の得票数を得た
1989年:コリン・パウエルがジョージ・H・W・ブッシュ政権下で統合参謀本部議長に就任
2001年:コリン・パウエルがジョージ・W・ブッシュ政権下で国務長官に就任
2009年1月:バラク・オバマが白人の対立候補に大きな差をつけて大統領に就任