子供を育てる母親に必要なこととは?
今年の3月半ばに出産した妹と母と、久しぶりのイタリアン。
妹の日々の気づきから話しが始まりました。
子供は無限の可能性そのもの。私の子供だから大した事ないだろう・・は大間違い!
赤ちゃんは、無限の可能性そのもので誕生します。
何をどう判断するか?という判断基準も何もなく、まっさらな状態で生まれてくるのです。
そして、成長しながら様々体験していく中で、徐々に物事を判断していく判断基準を作り上げていくのです。
判断基準は、0〜12歳でほぼ完成すると言われています。
言えば、赤ちゃんが成長して将来多くの事を判断するのに使う判断基準は、自分の意思で操作できないくらいの時期にできてしまうという事です。
となると、赤ちゃんの判断基準の形成に一番影響するのは家族であり、そして何よりも母です。
赤ちゃんにとっての母の存在は、生きるための命の綱。
強烈に影響するのです。
なので、母がどんな言葉を日々子供に声かけしているのか?
その言葉によって、実は子供が将来自由自在に生きていく可能性を奪っているかもしれないのです。
大きな事を成す人間になるのか?
小さいアイデンティティで、生きていくのか?
それは、小さな頃に影響を与えられる、周りの在り方次第とも言えるのです。
子供の可能性を制限してしまう発言をしてしまってないですか?
妹が話してくれた事として、
「年子で男の子が生まれたお母さんが、泣いてるお姉ちゃんに対して、「あら〜、お姉ちゃんなのに、泣いてたらダメだね〜。」って言ってるのを聞いて、こうやって子供の可能性を狭めていくんだ〜って思って、悲しかった〜。」と。
確かにそう。
赤ちゃんからしたら、まだ1歳で別に弟が欲しいなんて思ってない。
むしろ、まだまだもっと構って欲しい!愛がたくさん欲しい!という時期に違いない。
なのに、親が勝手に弟を生んだだけ。
なのにその影響で「泣いてはダメ」「しっかりしないとダメ!」なんて言われても、赤ちゃんに取っては意味が分からない論理です。
親が無意識的にするそのような声かけが繰り返される事によって、もしかしたら子供は「思った事が言えない」「我慢する」「甘える事ができない」など、そんな判断基準・パターンを構築していってしまう可能性を秘めているのです。
そして、一度構築されてしまうとなかなか変える事ができないのが厄介なところ。
不意につくられた判断基準を何気なく反復して使っていく事で、ダイヤモンドよりも固い判断基準「強固なものさし」となって、人生に影響を与えていくのです。
変化すべきは、何よりもまず親の認識から!
親(特に母親)と子供は表裏一体。
子供が見せる姿勢態度は、親が生活の中で子供に示した在り方が現実化されて見せているものです。
自分自身や周りの環境の、日々の状況や在り方の結果と言えると思います。
何か問題が起こった時、人はまず相手の変化を求めてしまう事が多いです。
ですが、「相手の変化=自分の認識が変化した分の結果」。
相手を攻める前に、まず変化の優先順位は自分自信の変化を選択する事です。
相手の変化は「結果」の変化、自分自身の変化は「原因」の変化です。
目の前の相手が変化してくれずイライラしてしまう事はないですか?
イライラしてしまう事に貴重な時間を費やすくらいなら、シンプルに自分自身の認識に勝負しましょう!